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「TRUST 世界最先端企業はいかに<信頼>を攻略したか」を読んで:結局問題は技術ではなく人

 

この本を読むきっかけ

 今回は紹介するのは電子書籍で読んだ「TRUST 世界最先端企業はいかに<信頼>を攻略したか」です。

 

TRUST 世界最先端の企業はいかに〈信頼〉を攻略したか

TRUST 世界最先端の企業はいかに〈信頼〉を攻略したか

 

もともと、本屋さんで立ち読みをしていて表紙の説明にハッとしたからです。

 

「なぜ政府や企業、マスコミを信頼しないのに、見知らぬ人間の口コミは信用するのか?」

 

私個人は、ツイッターやインスタグラムをほとんど利用せずどちらかというとマスメディアでの情報入手がまだ多いほうだと思います。それでも、何かを購入したり、どこかに行くにしてもまずはネットで調べて評価を確認してています。そんな自分の経験や、世界の各地での政治不信のニュース、街中で周りを気にせず小さい画面でSNSを四六時中見ている人を見ていると、「信頼」というものがネットやテクノロジーを通じてこの数年で大きく変わったような気がしていたので、何が起きているのかを知りたいと思いました。

 

この本は、部分的に私の問いに答えてくれましたし、信用スコアやボット、ブロックチェーンなど最新のネットにおける信頼の話題についても詳しく述べてくれていたので、読んで勉強になった部分は多いです。ただ、欧米の学者系統の人が書くこの種の本が比較的体系立てて書かれているのに対し、この本はそうではなく「信頼を可能にするのは最後は人だ」という紋切り型で終わっているのが少し残念でした。

 

 

第三の信頼「分散化された信頼」とは?

 筆者は今信頼について第三の時代(革命)に入っているといいます。すなわち、

  • 信頼の第一の時代:「ローカルな信頼」:小さな地元のコミュニティに存在する信頼。コミュニティが狭かった時代は、みんながみんなを知っていたのでこの信頼しかありませんでした。
  • 信頼の第二の時代:「制度への信頼」:リーダーや専門家、ブランドに向けて下から上に流れる信頼。法廷、規制機関、企業などの制度や仲介者の中に存在する。大きくなったコミュニティを円滑に動かすためには制度がうまく機能する必要があります(わかりやすいのが紙幣ですよね。私たちは例えば1万円札が1万円の価値があると信頼しているから使えるのであり、そうでなければ単なる1枚の紙きれです)

それに対し、現在起きているのが「分散された信頼」です。個人間で横に流れる信頼でネットワークやプラットフォームやシステムという現在利用な技術によって可能になったのです。

 

ただ、この分散された信頼についてはいくつかの問題があります。

 

1つは「何か問題が起こった場合、誰が責任を取るか」ということです。フェイスブックは自分たちは場の提供者であり、コンテンツについては責任を持たないと常々主張しています(といっても最近はこの主張が成り立たず不適切なコンテンツを削除したりすることが求められていますが)。

個人間をつなぐのがプラットフォームの役割としても、そこで起こった問題についてプラットフォームを提供する側が全く責任を取らなくていいかということはそうでないでしょうし、むしろその責任が強化されているといくことでしょう。

 

もう1つは「人間がコントロールできない(もしくは悪意で意図的にコントロールされた)機械の判断をどうするのか」です。本書ではマイクロソフトが2016年にお披露目したチャットボットの「タイ」はその日のうちに撤収せざるを得なくなった事例を紹介しています。みんなからのツイートで学習するこのロボットは最初は楽しい会話をツイートしていたものの、公開から数時間後人種差別や性差別など「暴言」を吐くようになりました。この「タイ」につながった人たちがそういう言葉を教え込ませたからです。

また、中国では「信用スコア」によりローンが借りやすくなったり、結婚相手が見つけやすくなったりいろいろな場面で使われていますが、そのアルゴリズムは公開されていません。実際信用スコアは中国政府の後押しもあり、政府にとって都合のいい人が意図的にスコアが高くなるように設計されるリスクもあります(実際既にそうなっているかもしれません)。

 

私たちは進んだテクノロジーによりいろいろな恩恵を受けていますが、立ち止まって考えなければ知らない間にプライバシーが赤裸々になっていたりゆがんだ情報を信用することが当然のようになってくるリスクがあります。

 

テクノロジーは進んでもそれを使うのは人です。自分できちんと起こっていることを知り、取捨選択して利用することが求められますね。

 

「制度の信頼」への揺らぎ

また、この本で個人的に面白かったのは、第二の制度への信頼がいかに揺らいでいるか、そしてこれだけ情報があふれる中で、人々が自分が見たい・知りたいニュースにしか触れていないかを示したデータです。

例えば、第二の制度への信頼のゆらぎについては

  • 政府、マスコミ、ビジネス、NGOへの信頼は過去最低。とりわけ82%がマスコミを信頼していない(2017年グローバル広報企業「エデルマン」による28カ国の「信用バロメーター調査」)
  • アメリカの調査会社「ギャラップ」によるアメリカでの2016年度の各機関への信頼度(カッコ書きは1973年)

    銀行27%(60%)、議会9%(42%)   

    政府(国際問題)49%(75%)*国内問題は44%(70%)

 

そして、人々のニュースの情報源については以下のようなデータが挙げられています。

 =>アメリカ人の2分の1はフェースブックが主なニュース情報源

 

ご存知のようにSNSでは自分のし好に合った情報を優先的に表示するので、SNSでのみ情報を入手していると、違った意見に接する機会が大きく減少します。また、「自分に似た人」を最も信頼できる情報源と考えている人は増えているということですので、多様な考え方が受け入られない=分かり合えないままそれをよしとする社会になっていく可能性があります。

 

この結果は「Factfulness」について書いたときに紹介した福島原発にかかるニュースの拡散と似ていますね。情報が過多になった結果、自分の見たい情報だけを見て過ごすことが可能になっている(それをまたプラットフォームが助長している)=>正しいことが伝わりにくくなっているということがいたるところで起きているということです。

millebon.hatenablog.com

 

自分の見たいものだけを見たいというのは人間にとっては本能なんだろうなと思いますし、それ自体が悪いことだとは思いません。ただ、国のトップが自分の利益になること以外を受け入れないようなシーンを見ていると、まずはきちんと事実を確認しようという姿勢がより求められている気がします。