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武器としての「資本論」を読んで:現在の状況に至った経緯を理解するのには役に立ちますが。。

 

経済学出身でも「資本論」を勉強した記憶が。。

この度「武器としての「資本論」」を読み終えました。 

武器としての「資本論」

武器としての「資本論」

 

  現在の経済状況について「資本論」をあてはめて解説しているということで話題になっていたこと、20数年前一応経済学部(しかもマルクス経済が主流の大学)を出たにもかかわらず、資本論を勉強した記憶もないので「少し理解したいな」という好奇心もあったからです。

 

カバーには「資本主義を内面化した人生から脱却するための思考法」と書いています。

 

ここからも資本主義を批判した内容になっているのは明らかですね😅。

 

読んだ感想のポイントとしては2点です

  • 「資本」をある側面からして社会がどのように発展してきたのかを理解するのには役に立つ。
  • 「資本主義」の考え方が人間の価値観にまで入ってくるところに批判をしているが、そうした価値観を選んだのは自分たちなのではというところで筆者の主張に違和感を感じる。

とくに後者については筆者も私も主観的な考えが入っているので「こういう考え方もあるかな~」くらいで読んでいただけるといいかと思います。 

 

資本主義の現在までの経緯を理解するのには役に立つ

私の中でこの本を読んで得たポイントは以下の4つでした

  • 資本主義とは物質代謝の大半を商品の生産・流通・消費を通じて行う社会である今自分が食べているもの、使っているものはすべてどこかから買ったものです。まず一から自分で作ったものはありません。そうした状況が「資本主義(資本制)」なんだということを改めて思いました。
    それ以前の、自給自足する時代と何が違うのかというと「商品の価値」が重要になってくるという点です。交換しかも共同体の外で生まれるものはあとくされがない(人の顔が見えないですからね)。消費する側にとってはその商品が何を自分で与えてくれるかがポイントになります。
  • 資本主義は剰余価値を生産することが命題:剰余価値を生産していくことが「資本主義」の肝だというのが考え方のベースにあります。なぜそうなのかという説明は見当たらなかったのですが、一般的な経済学でも余剰資本を使って投資し、生産を拡大していく、また株式市場においても前年よりどれだけ売上や利益が増えているかどうかが株価のベースになるわけだから「これは所与の条件だ」といわれればそうなのかもしれません。
    重要なことは、この命題がゆえに生産性を不断的に挙げていかなければならないということが資本主義には常に付きまとい、その剰余価値の多くが労働者によって生まれるというところにあります。
  • 20世紀後半は労働者を富裕化して中流階級化し「消費者」に変換した:これも「そういわれれば!」という視点でした。資本家が設けるためには生産した消費を買ってもらう人が必要になります。
    その消費者を増やすために労働者にある程度高い賃金を払い、比較的割安な商品を大量に作ることにより市場規模を大きくしていったというのです。その典型がフォードが作った「T型フォード」であり、フォーディズムともいわれています。

  • 労働力が飽和状態に達したことで、安い労働力がなくなり非正規化や生産拠点の海外への移転により剰余価値を生み出そうとしているのが現代の状況:しかし、やがてフォーディズムの方法も十分な余剰価値を生み出さなくなりました。筆者は、日本の状況においては高度成長時の農村からの安い労働力の流入が止まることによって労働力が剰余価値を生み出すなったからだといっていますが、個人的にはよく言われるように大量消費も飽和状態になったからではないかと思います。
    そのため剰余価値を生み出すために非正規で安くかつ労働力を採用したり、海外に生産拠点を移転などを行っているというのが現在の状況ということです。

ネオリベラリズムに対する批判については「?」

筆者はこのような剰余価値を生み出さなければという資本主義的な価値を人の価値にまで及ぶことに対して危機感を持ち以下のように述べています。

 

  • 「スキルがないから価値が低いです」といってしまったらもうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に侵され、魂までもが資本に包摂された状態です。
  • ネオリベラリズム)に立ち向かうには人間の基礎価値を信じることです。「自分たちはもっと贅沢を享受していいのだ」と確信することです。贅沢を享受する主体になる。つまり豊かさを得る。私たちは本当は誰もがその資格を持っているのです。

このように言われると納得がいかないのは私がネオリベラリズムに侵食されているからでしょうか?

 

「スキルがないから価値が低いです」というのは現在の労働市場においては給与=価値と考えると、ある一定事実だと思います。ただ、そうでない生活を選ぶことができないのかといえばそうではないと思います。現に田舎で自給自足の生活を行っている人も(多くはないでしょうが)います。それを選択するかどうかも自分自身なのではないでしょうか?

 

また筆者のいう「贅沢」とはファスト・フードではなく地産地消の食べ物のようなイメージですが、ファスト・フードを選ばされているのではなく選んでいるというのが現実ではないでしょうか?

 

モノにしてもそうです。100均で買えるものを手作りだからといって10倍の値段で買える選択肢を選ぶ人はどれくらいいるでしょうか?もちろん買うことができない人もいるかもしれませんが「安くてお得に買いたい」という価値観がいわゆる「剰余価値を生み出す」という資本主義に結びついていることが今の世の中につながっているのではないでしょうか。

 

あと、もう1点重要なことは、世界は全体としてはよくなっているのだということです。「昔はよかった」的に言う人は大勢いますが、相対的に物質面では驚くほど豊かになっていると思います。

もちろん社会はいつでも完ぺきではないですが、だから今が悪いというのは少し短絡的な感じがします。

 

常にFactfulness的な気持ちで世の中と向き合っていきたいですね。

 

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