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データとハートを活かす人事を目指した成長奮闘記(?)です

データ分析思考でコロナ禍を冷静に見る:ハーバードビジネスレビューの記事から学ぶ

 

人は信頼性のある情報を求めたがりますが。。

コロナウィルスの感染が収束しない中様々な情報が拡散しています。

 

4月6日の日経新聞朝刊のトップには、コロナの情報拡散力が2003年のSARS時の68倍になり、その情報量の多さが人を疲弊させているという記事が出ていました。

www.nikkei.com

 

こうした中、政府やWHOなど信頼性のある情報を参考にしてくださいということをよく聞きますが、重要なのはそうした機関の情報も朝三暮四で正確性に欠けます。

 

何故正確でないのか、より良い判断を行うためには何が必要かをデータ分析の視点から論述した記事をハーバードビジネスレビュー(HBR)の記事で見つけました。

 

記事のタイトルは”Bringing an Analytics Mindset to the Pandemic (パンデミックの状況下に分析思考を活用する)” です。

 hbr.org

*記事の購読は定期購読者以外は3本まで無料。その後は1記事当たり約9ドル課金されます。

 

データ分析で必要な3つの判断

この記事ではデータを用いてよい判断を行うための3つの視点を上げています。

 

1.誰をデータに含めるか

 

コロナのような未知の病気については、データの対象者が病気の症状が重い人もしくは亡くなった人のみが分析の対象となりやすくなります。しかし、実際にウィルスにかかっている人がその何倍・何十倍もいる場合、感染対策や医療対策といった重要な施策の指標となる「致死率」が実際よりも高くなり、誤った判断につながりかねません。

 

ですので、顕在化した人だけでなく分析の対象をもっと広げたデータが必要ということになります。現在のコロナ危機に当てはめるとPCR検査や抗体検査の拡大ということでしょうか。しかし、この実現にはそのための費用や人材の確保ができるという前提になります。新しい病気でかつ急速に重症患者が拡大する中では当初からこのようなデータを集めることは難しいような気がします。

 

2.データを判断するときにどの要因に重きを置くか

 

 

コロナでいうと陽性になる、重症化する、死に至るのに重要な要因は何かということです。当局や研究機関がそれを突き詰めようとしていますが、決して簡単に見つかるというものではありません。年齢、喫煙率、既往症、施策のタイミングなどなど上げればきりがないですし、実際それぞれの要因がどのように組み合わさっているかを直接測定することはできないからです。

 

通常では実験で行うようにそれぞれの要因を分けるもしくは組み合わせて分析することが必要なのですが、筆者はパンデミックの状況ではこのようなことを実施するのは不可能だろうといっています。

 

3.データの結果をどう報告するか

 

すべてのデータ分析を行った後、どのように報告するかが重要になります。というのも、その報告により状況の良しあしの解釈が変わってくるからです。

 

例えば人口が100倍違う国で感染者数が同等だった場合、その影響は明らかに違いますが、感染者数だけを見ると同じレベルに扱われます。また、増加率だけを示してももととの感染者数の数により実際の影響度が異なってきます。

 

実際の報告の際には、複数の指標を取り入れること、絶対数だけでなく相対的な割合なども含め全体像が理解できるようにすることが重要となります。

 

この記事を読んで

少し統計を勉強したものとしては特に目新しい情報ではないのですが、いかに今の状況下で正しい判断をするのが難しいかということを再認識させてくれる記事だと思いました。

 

上の3つがデータ分析において重要であると考えた場合、そもそも1と2をこの混乱の中で行うことが難しいのです。メディアには政府や地方自治体の施策に対しての批判や不満の声ばかりが掲載されていますが、そもそも確実な情報のもと判断できないということを理解したうえで報道をしてほしいなと思います。

 

筆者はこのように述べています。

The lack of certainty is not at all surprising; after all, it's a new disease that we are learning about in real time, uner horribly high-pressure conditions. (確実性に欠けるのは全く驚くべきことではない、非常にプレッシャーが高い中で今リアルタイムで学んでいる新しい病気なのだから)。

 

安全かつ自由に行動ができることを当然のことのように享受していたものを守りたいという気持ちはだれにでもあります。でも自然は決してそうではないのですから、その不安定さに慣れながらできることをやっていくしかないですね😉。