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平均という考え方を捨てて個性を尊重しよう!:「ハーバードの個性学入門」を読んで

 

 

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「平均的な人は誰もいない」というシンプルなアプローチから始める

皆さんは「平均」という言葉を聞いてどのようなイメージを持つでしょうか?

 

私が平均と聞いて真っ先に思い浮かんだのが「普通」です。

 

平均より身長が高いと「普通より背が高い」ということになりますし、平均より年収が高ければ「(程度の差はあれ)普通より恵まれている」と思ってしまいます。

 

何となくある「平均(普通)」のイメージ。でも「実は平均的な人なんていない」といわれたらどうでしょうか?

 

そのことをいろいろなデータや調査研究で教えてくれる良書が本日紹介する「ハーバードの個性学入門:平均思考は捨てなさい」です。

 

最近の日本の出版社の悪い癖で著者がハーバードやスタンダードの教授だったりすると大学名の冠を付け、それがこの本の価値を下げているような気がします(英語のタイトルは「The end of average:How we succeed in a world that values the sameness  (同質であることを価値として成功してきた平均の終焉)」です)。

 

ちょっと胡散臭いのかと思いつつ、本屋で立ち読みしているときに最初の米軍の空軍パイロットの話が面白くて、即買ってしまいました。

 

空軍パイロットの話とは、パイロットの平均の体に合わせて作ったコクピットの飛行機であまりにも事故が多いため、4000人近くのパイロットの身体を測って検証したところところ平均の体を持ったパイロットは全くゼロだったというお話です。

 

平均とは「身長、胸周り、腕の長さなど10か所について中間30%以内にすべて入るもの」という定義でそれなりに広いのです。

 

これは絶対的数値が出せる身体でさえ人のばらつきが大きいということを示唆しています。

 

そう考えると、よりあいまいな人の性格や性質、行動様式を平均という概念でくくることがそもそもおかしく、個性に正しく着目してこそ個人をより理解できるというのが「個性学」の考え方です。

 

個性に関する3つの原理

「個人により注目しなければならない」という個性学の背景にはを3つの原理があります。それは①ばらつきの原理、②コンテクストの原理、③う回路の原理です。

 

①ばらつきの原理:複雑な構成要素から成り立っているため、実際の特質には個々人大きなばらつきがあるということ。先に述べた空軍パイロットの身体的特徴に限らず、才能や知性、性格など人間のさまざまな特質はいろんな要素からなっており、ばらつきが非常に大きいこと。一方実生活では、「背が大きい人=体が大きい」、「数学ができる人=頭がいい」と単純化してしまうことでステレオタイプ化してしまう傾向があります。

 

②コンテクストの原理:個人の行動はコンテクストすなわち特別な状況に左右されるもので、コンテクストから切り離して説明することも予測することもできないこと。単純な例としてあげられていたのは、「家庭ではいい子なのに、学校では攻撃的でいたずらをする子供」。置かれた状況により行動は変わるので「こういう性格だ」と一次元的な見方では問題は解決できないということですね。

実際、人格的特性と行動の間に存在するはずの相関関係は0.3より強いケースはめったになく、これは数学的観点から見ると人格的特性で決定される行動は9%でしかないそうです!それなのに、「XXさんは△△だから〇〇をするんだよね」という決めつけたことをどれだけ言っているか。。

 

③う回路の原理:いかなるゴールも直線的に向かうのではなく、いくつかの方法がありしかもどれも妥当であること。そして最適なゴールは個性により決定されるということ。これは教育やトレーニングという点で非常に重要な視点だと思います。つい最適な方法は一つしかないという誤った考えの下、同質的な方法を強制しがちなのですが、発達は「網の目」のように進んでいくのであれば個々人にあったやり方を尊重すべきだということになります。実際学び方に柔軟性を与えたグループはそうでないグループよりも成績優秀者として評価された人が非常に多くなったということです。

 

平均という見方は大量生産消費時代を作るのには役に立った?

この本を読んで自分自身もステレオタイプ的な見方に以下に縛られていたかということを反省し、今後人に接するときには個々人を見る、コンテクストを考える、その人に最適な方法はもっとあるんじゃないかということを考えようと思いました。

 

そしてそれは自分自身にも当てはまります。例えば「人前で話すのが苦手だから」とおっくうになる前に、どういう状況ならうまくいってうまくいかないのかを考えることで、コンテクストを変えて挑む、「走るのが遅くなってきて歳だな」とあきらめる前に、「自分に合う方法はあるのではないか?」と考えたり、「直線的には成長しないから今は大丈夫」と前向きに考えられる指針としても使えそうです。

 

ちなみに「平均的な人間」という概念は比較的新しく1、800年初頭のベルギー人、アドルフ・ケトレーから始まったそうです。この平均的な考え方は産業の近代化と相まって生産の標準化をもたらし人々が豊かになる近代工業化社会の形成にも大きく貢献してきました。

一方、平均という概念は人をレベル化することにもつながり、画一的な生き方や考え方を良しとする方向性を作り上げていったとも言えます。

 

豊かな時代になったからこそさらに個性が求められる時代なのかもしれません。

 

もっと自由に生きる2021年にしたいものです!